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奈良地方裁判所 昭和29年(ワ)23号 判決

原告 乾俊則

被告 乾勇

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金三十万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、原告は、昭和二十五年一月二十九日被告並にその妻キワと養子縁組の、被告の長女照子と婚姻の儀式を同時に挙げ、将来養子縁組並に婚姻をすることを約し、被告方において被告夫婦、照子及びその他の家族と同居するようになり、同年二月十八日妻の氏を称する婚姻届をすませた。

二、被告は水田八反畑半反を耕作する居大字において有力な純農家であり、原告も又奈良県磯城郡多村において田畑約一町を有する有力な自作農宮田冨造の三男として生れ、県立磯城農学校を卒業し、農業に関しては専門の智識と経験を有するものである。

三、しかして原告は被告方に同居するようになつて以来満三年間病身勝ちの被告に代つて農業経営に従事し、一日と雖も休むことなく身を粉にして家業の維持発展の為に努力して来たのであつて、その間被告の多年の要望を満足させるため、自己の貯蓄より金三万円を支出して、乾家先祖の地と称せられる一反二畝の耕作権を購入し、之を養父である被告の名義とせしめたことがある。

四、かくして原告は一意専心被告の事実上の養子として全身全露を捧げて来たところ、被告の長女で原告の妻である照子は小学校教員として勤務しているため家庭に在る時間が少いのに不拘詩文に熱中するの余り農家の主婦或は妻としてのつとめを怠つて原告の身辺を世話するところか、詩文こそわが夫なりと称して遂に理不尽にも離婚を請求するにいたつたのであるが、被告もむしろその長女をたしなめて一家の円満をはかるべきに拘らず又これに同調して縁組の予約を履行しないで何等正当の事由もないのに拘らず原告に対して事実上の養子縁組の破棄を請求するに至つたので被告は昭和二十八年三月二十日已むを得ず涙をのんで実家に帰らざるを得なくなつた。

五、しかして原告は、被告の前記の如き養子縁組の予約不履行によつて相当の精神的苦痛を蒙つたから、被告は原告の精神的苦痛に対して慰藉料を支払う義務がある。そしてその額は原告が前記の如く、三年間専心被告の家に在つてその家業である農業に従事して来たこと、原告のために原告自身の三万円の資を投じて被告のために一反二畝の耕作権を確保したこと及び原告被告の地位財産等を考慮して金三十万円を相当とするから、原告は被告に対して右金三十万円の支払を求めるため本訴に及んだ次第であると陳述した。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は原告の請求はこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、原告主張事実に対して、被告が原告主張の耕作地を有する農家であつて、原告がその主張の農家の三男としてその主張の農学校を卒業したこと並に原告が被告の長女照子と昭和二十五年一月二十九日事実上の婚姻をし、その後同年二月十八日原告は妻の氏を称する婚姻届を済したことは認めるが、その余の事実は全部否認する。即ち先づ被告は従てその妻はその長女照子と原告との婚姻に当つて、原告と養子縁組をすべき旨の約定をしたことはない。現に原告と右照子との婚姻届に付ても原告が自らその作成を大和高田市の某司法書士に依頼して自ら右届を済ましたのである。もし原告の主張する如く原告が被告及びその妻と養子縁組を約したのであるならば、養子縁組届出に付ても右婚姻届を出す前が少くとも同時に届出るべきであり届出ることが出来た筈であるのに、原告から縁組届出に関して被告に対して何等の申出もなく、唯婚姻届のみを作成して之を届出たというのは原告と被告夫婦の間に養子縁組をなす約束など全くなかつたことを示すものであり更に又原告が前記照子と円満を欠きその実家に戻つた以後大和高田市役所に一方的に養子縁組を届出しようとして拒否されたことに徴し、原告の右主張が真実でないことは明らかである、又原告は被告が病身であつて農業経営に堪えなかつたと主張するけれども、被告はすこぶる健康であつて唯昭和二十七年一月頃より同年五月頃迄病床に就いたことはあるが、それは原告のその妻照子及び被告夫婦に対する粗暴な行為の数々のために気を病んだ結果である。それ以外に恐らく医者の診察を受けたこともない位である。次に原告は自己の資金で被告の為に田の耕作権を買受けたといつているが、原告の主張する三万円は原告の特有財産ではない、即ち原告はその婚姻前から奈良県磯城郡耳成村十市に田約二反歩を小作していて、右照子と婚姻した後も右田の小作を続けていたので、而も右田は被告方よりは約一里半余も離れた遠隔の地にあるのにその耕作にはその都度早朝から被告の妻を始め、右照子及びその妹和子等が当つていたものであり、その肥料代或は収獲時の人夫の費用等右耕作に要する凡ての費用も右照子が半ば支出していたものであつて、右三万円もかくして得た昭和二十六年産米を売却して得た代金の一部で決して原告特有の収得金から支出したものではない。尚被告は右金三万円に更に自ら三万円を加え原告主張の田の所有権並に耕作権を買受けたものであると答え、更に仮定的抗弁として

仮りに被告と原告間にその主張するような養子縁組の予約があつたとしても、被告はその履行を拒絶するについて正当の理由がある。即ち右養子縁組は旧法のもとに存在した婿養子縁組であつたのであるが、原告はその妻照子に対して同居に堪えられない虐待を加え将来婚姻を継続することが出来ないようにして自らその婚姻を破棄したのである。

以下にその具体的事例をのべると

(1)  照子が挙式の翌日その地方に於て俗に「花帰り」といつて夫の家に行つた時、被告方の親族並に原告方の親族が集つていた席上、原告は照子に原告の持参した荷物に対し原告方親族に謝礼を述べないといつて足蹴りにしたことがある。

(2)  昭和二十五年十月頃被告方居村の神社の祭典について被告方家族が話しあつていた際、照子が原告に「あなたはまだ来られてから間もないことだからはつきり村の様子がおわかりにならないのです。」といつたところ、原告は「よう俺何がわからんのか。」と痛く憤激して枝豆の入れてあつた籠等を投げ果ては照子の胸を掴え首を締める等の暴行をするので被告は驚いて照子をかばい奥の間に引き入れたが、被告の妻キワも驚いて「照子を殺す。」と大声を出したところ原告は同女に対しても「お前も殺してやろう。」と迫るので同女は表に逃げだし隣家から夫妻が静めに来たことがあつた。

(3)  昭和二十六年五月頃照子は突然血下りがして止まらないので直ちに奈良県高市郡八木町の県立医科大学附属病院に行つたところ、医師は流産をしているので一刻も早くその処置をしなければいけないと告げたので直ちにその処置をうけると共に同道した妹和子を取敢えず家に帰らせてその旨を報告させ、夕刻帰宅すると、原告は自分に相談なく処置をしたと怒り宛も照子が進んで早産したように責めるので、翌日右病院に同道して右処置の必要であつたことを医師に説明してもらつたことがあつた。

(4)  同年七月末か八月初頃照子が児童と六甲山に遠足に行くことになり、妹和子が常に留守勝の照子に代つて家事や原告の身辺の世話をしているのでその慰藉にもと思い同人を誘つたところ、原告は「自分もつれて行け妹をつれて行くのに何故自分を連れて行かぬか。」と怒り出し、終夜照子を枕許に坐らせて眠らせず、翌日昼食時にも食器を投げつけてその儘実家に帰つたことがある。

(5)  同年十月頃照子は当時勤務先の学校で所謂PTAの書記をしており会議のため帰宅が遅れ、帰途原告と逢つたところ、原告は突然「今頃まで遅くなりやがつて」と怒鳴り偶々さしていた傘をたたんで照子を殴打し、そのため原告のさしていた傘の骨がばらばらに折れたこともあつたが、このようにして照子の帰途を待ち伏せ殴打することも再三であつた。

(6)  昭和二十七年二月末頃の日曜日に原告と照子及びその妹和子が前記十市の小作田え麦踏に行つた際、照子が将来如何にすれば一家が円満にやつて行けるかという点について原告に相談したところ、原告は急に怒り出し照子を麦の芽生えの上に押し倒し踏むやら蹴るやらするので妹和子が泣きながらとめたことがあつた。

(7)  同年八月頃照子は被告等と昼食の時どうすれば一家が円満に行けるだろうと相談していたところ、原告が帰つて来て「俺さえいなければよいのだろう。」と怒鳴り食器を投げつけその儘家を出ていつたことがあつた。

(8)  同年十月頃照子が児童をつれて伊勢に旅行し帰りが予定時間より遅れたので原告より責められるのを恐れ自動車でいつもの道を通らずに帰宅したが、途中迎えに出た原告と道が違つたので会はなかつたのに照子が自動車に乗つて帰つたことを秘して平素の道を帰つたと告げた、原告は道順を教えろと責め、遂に照子が自動車で帰つたことを告げ謝つたに拘らず同人を殴打したことがあつた。

(9)  このようにして原告の粗暴な性格は依然として変ることなく被告夫婦に対する態度も改ることがなかつたため、同年十二月頃照子はその健康を害し以前より懇意な医師藤田正民に来診を乞うて診察をうけていた時、原告は照子に対し自己に無断で医師を呼んだことを叱責し「別れる」といい出し、同医師の仲裁で治つたことがあつた。

(10)  照子は日々出納簿をつけておつたけれども漸く心身の疲れのため記入が出来ないようなこともあつたが、原告が是非これを記入せよと命じ果ては帳簿を破つて殴りつけて記入を強制することもあつた。

しかしながら被告は右夫婦が円満に婚姻生活を継続するように出来る丈の努力を払つて前示縁組予約の履行をなして来たのであるが、原告は遂にその粗暴なる性格とその妻である被告の長女照子に対する愛情不足のためその婚姻を自ら破棄して昭和二十八年三月三十一日被告方より去りその実家に帰つたのであるが、即ち右縁組予約の不履行はむしろ原告であつて、かかる状態のもとにおいて仮に原告被告間の養子縁組の予約が履行出来なかつたとしても被告には何等の責任がないのである。と述べた。〈立証省略〉

理由

原告が奈良県磯城郡多村において田畑約一町を有する自作農宮田冨造の三男として生れ、県立磯城農学校を卒業し、被告が肩書住所で水田約八反畑半反を耕作する純農であること、原告は昭和二十五年一月二十九日被告の長女照子と婚姻の儀式を挙げ、同年二月十八日妻の氏を称する婚姻届をすませ爾来昭和二十八年三月三十一日迄被告方に起居していたことは当事者間に争いがない。

よつて先づ右儀式が同時に原告と被告夫婦との間の養子縁組のためにも行なわれ、従つて原告と被告夫婦との間に将来養子縁組をする約定がなされたか否かについて争いが存するので按ずるに、いずれも成立に争いのない甲第四乃至第六号証、第九、十号証、乙第四、六、十、十三、十五号証によれば、右婚姻の挙式前被告方は被告夫婦との祖母並に娘三人の六人家族であつて、その長女照子は婚姻するも当時勤務していた小学校教員をやめることを欲しないので教員をつゞけると共に従前からやつていた詩文の創作研究を一生続けて行く積りであつたゝめ他家に婚嫁することを嫌つていたのみならず仮令婚姻するも右職業創作を共に続けてゆけるような婚姻を望んでいたので相当所謂婚期を失していたことそして原告と照子との縁談がまとまるにいたつた経過は、媒酌人の一人であつた訴外斎藤マツヱが昭和二十四年頃他より養子の斡旋方の依頼を受け原告が養子縁組をしてもよいと聞知し原告を斡旋中既に他に養子が確定したので、その後同年七月頃知人である訴外堀部文三郎に原告の斡旋方を依頼したところ、偶々その頃右照子の母も右堀部に長女照子の縁談を依頼していたので、かくして双方聞き合せのうえ、縁組がまとまるに至り、次いで同年十月初頃被告方から原告の実家へ衣服料二万千円、赤飯料五千円を結納として送り、結婚式も被告方で行なわれ、挙式後原告は照子と共に被告方において同居するようになつたこと。又被告方近藤照子の同居人も原告が養子であると思つていたことが認められ、更に印影に付て争のない捺印があるところより真正に成立したと認められる甲第一号証の二によれば、被告は奈良県知事に対して農地耕作権の移転承認の申請のため提出した申請書中に家族の状況として原告が被告夫婦の養子である旨の記載をしていることが認められるが、以上の各事実よりすれば、前記婚姻の儀式は同時に原告と被告夫婦の間の養子縁組のためにも行なわれたものであり従つて原告と被告夫婦との間に将来養子縁組をする約定がなされたと認めるのが相当であつて、右認定に反する乙第六号証第十二乃至第十五号証は右認定の経過に徴しすべて措信しない。尤も被告はこれに対して、原告は前示婚姻届を自ら届出たのであるからもし原告と被告夫婦との間に養子縁組を予約したというのであれば少くとも右婚姻届と同時に届出るのが普通であり又可能であつた筈であるのに原告がそれを為さなかつたのは右予約が存在しなかつたからであると主張し、成立に争いのない甲第十号証、同乙第十三号証によれば、原告がその婚姻届に必要事項を記裁し、照子の承諾を得て同女の捺印をし自ら届出たことが認められるので被告の主張は一応認められるようにも思はれるのであるが、ひるがえつて考へると右婚姻届は婚姻に際して普通に行なはれている夫の氏を称する婚姻届とは異なりむしろ例外的であると認められる妻の氏を称する婚姻届であるから、その届出の結果原告の氏は宮田より乾に変更せられた結果養子縁組によつて氏の変更がなされることは一般に知られているので、これをもつて原告が法的知識特に改正民法の理解も乏しいところより養子縁組の届出もなされたとすることは充分考えられるところであるが成立に争いのない甲第十号証によれば、原告も亦右婚姻届によつて既に養子縁組も共に届出られたものと信じて居たところ、その後離婚の話が進められ原告が奈良家庭裁判所にその調停の申立をするため弁護士に相談にいつた際始めて右婚姻届のみでは養子縁組の効果が発生していないことを知つたことが認められるので、右婚姻届のみが届出された事のみでは未だ右認定を覆へすことは出来ない。更に被告は、原告が照子との夫婦仲が悪るくなつてその実家に帰つた後に自ら大和高田市役所に行き養子縁組の届出をしたいと戸籍吏に申出戸籍吏から養父母の承諾がなければ出来ないとして拒否された事実があると主張するが、仮りに右事実が認められるとしても、右申出は事実上の養子縁組の状態を法的に合一させようとするものとも認めることもできるのでそれ丈をもつてしては何等前記認定を覆えす資料とすることは出来ないし、他に前記認定を覆えすに足る証拠はない。

而していずれも成立に争いのない甲第三乃至第五号証第十号証、乙第四号証によれば、原告と照子とは婚姻後暫時にして兎角円満を欠くようになつて、遂に昭和二十八年一月頃より離婚話がおこりその後原告、照子、双方の親族及び媒酌人である前記斎藤マツヱ、堀部文三郎等が集つて数回に亘つて色々と協議したが結局照子はこの際将来の幸福のため離婚を固執し、原告も亦敢て婚姻の継続に熱意を見せなかつたのでその父である被告及びその妻も已むなく原告、照子の態度を是認同調するようになつたところ同年三月三十一日原告は実家より直ぐ帰れという電報をうけとつて被告方より実家に帰りその儘被告方に戻らなかつたことが認められる。

よつて次に被告の主張する仮定的抗弁について按ずるにいずれも成立に争いのない甲第三、四、十号証乙第三乃至第八号証、第十二乃至第十五号証を綜合すれば被告主張のように原告と照子は前記斎藤マツヱ及び堀部文三郎の仲介によつて縁談が進められたが、照子は婚姻後も当時つとめていた学校教員をつゞけ且つ詩文の研究創作に精進すべき旨予め原告の諒解を得て婚姻被告方に同居したが、其後婚姻生活では挙式直後里帰りで原告は右照子に対して原告持参の荷物に関して暴行をなした外約半年経過後より主として右照子が小学校に教員として勤務し、而も又詩の創作等に熱心のため屡々帰宅がおくれたこと等のため、一日の大半時に休日をも原告と共に起居することできなかつたので被告方の家業である農業は勿論原告の小作田の耕作に従事できず又原告の身辺の世話も必ずしも十分でなかつた等のため稍粗暴な性格な原告は屡々前示照子に対して被告方内外で殴り又は蹴る等の暴行をなし、更に昭和二十七年十二月頃照子は頭痛がしたので欠勤して懇意な医師に来診をうけたところ、原告は自己に無断で医者を呼んだといつて同医師の前で照子を殴ろうとし、果は原告は別れると云いだしたが同医師よりなだめられたことがあつたがその頃より照子は原告と別れるのが将来のためよいのでないかと考えるようになり、翌二十八年一月初には照子は原告と協議の上大体離婚することとしてその後原告、照子、その双方の親族及び媒酌人等が集つて協議したことがあつたがその席上、照子は「原告より乱暴されて将来結婚を継続することが出来ないので別れる」と主張し、原告は「照子が学校や詩をやめて常に家に居てほしい」と主張して融合和解ができないまゝでいたところ同年三月三十一日原告は、その兄の電報によつて被告方よりその実家に帰つて以来そのまゝ別居していることが認められ、前記証拠中右認定に反する部分はすべて措信できないし、又他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

ところで以上認定の事実よりすると原告と照子との間の婚姻生活が破綻するに至つた原告は、原因が専ら前示照子に対して妻として世間一般の農家の主婦の如く勤めに出ることなく終始家庭にあつて家業は勿論原告独自の農業も手伝い原告の身辺を世話する等の家事にいそしむことを望んでおつたに拘らず、前記の如く妻たる前記照子は依然として小学校教員をつゞけ且つ詩文の創作研究に精進しそのため帰宅の遅れることや一日の大部分を別々に過ごすことに不満を懐いていたが、これに加えて原告は妻の両親である被告夫婦も原告の要望と同様に照子が教員並に詩文の研究をやめ専ら農家の主婦となることを望んでいることを知つていたこと、かてゝ加えて原告の学歴、年令等が照子に比し劣つていて而も原告の周囲が照子の肉親のみであること等より同女に対して劣等感を懐いていたことと原告の性恪が稍々粗暴であるため事あるごとに照子に対し暴力を振つたことにあると認められるのである。尤も右の原告の妻に対する希望は一般の夫としては無理からぬ点もあると思はれるのであるが、本件に於ては前記認定の如くその婚姻前に原告は照子の教員並に詩作を将来も続けたいという希望に対して承諾を与えている以上、たとえ照子がそのため帰宅が遅く、農家の主婦或は妻としてのつとめに多少欠くるところがあつたとしても、これを忍容すべきであつて、これを不満として暴力を振う如きは許されないのであつて、原告と照子との婚姻を将来継続して行くことが出来ない責は専ら原告にあるといはなければならない。

しかして原告と被告との間の養子縁組の予約は前記認定のように原告と照子との間の婚姻と共に生来されたものであるから本件に於ては前示婚姻から養子縁組のみを切りはなして考えることは出来ず、他に特段の事情も認められないので前記養子縁組と婚姻とはその運命を共にするのが自然であると認められるから、前記婚姻が専ら原告の責に帰すべき事由によつてその継続が困難ならしめられた以上そのため被告が原告との間になした養子縁組の予約を履行しなかつたとしても被告にはその責任はなく、むしろ前示認定に徴するときは原告に於て右縁組予約の不履行の責を負うベきものであると言うべきであつて、被告の主張する抗弁は理由があると断定せざるを得ない。

したがつて被告の養子縁組予約の不履行を前提とする本訴請求は理由がないから、爾余の判断をするまでもなく失当として棄却するべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 菰淵鋭夫 坂口公男 松井薫)

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